『述誠』とは?

『述誠』とは?
浄土宗の開祖・法然上人の弟子である西山上人・證空(浄土宗西山派流祖)と、證空の弟子である宇都宮実信房蓮生との往復書簡を後に(本人もしくは後代の人が)問答形式に編纂したものである。
実信房は上洛した時には、今の嵯峨二尊院あたりに止宿して、そこから西山上人の講説所へ聴聞へ通っていたらしい。
そこで聞いた法然上人最晩年の回心(宗教的発見・気付き)と西山上人の己証の法門(伝統・伝承を基盤として独自に切り開いた宗教的見地)、すなわち「念佛三昧」と「「観佛三昧」、「願行具足」と「行願具足」の法義(おしえ)を中心とした安心・弘願の教説と自身の安心証得の告白を照らし合わせて、そこから阿弥陀佛の慈悲、すなわち佛の「誠」を「述べ」あらわそうとするものである。
まだ原本は存在が確認されていないが、写本は複数存在しており、最古のものとして愛知県岡崎市の真浄院(西山深草派寺院)で発見された文亀二年(1502年)本の『述誠』がある。
ここでは西山浄土宗東部第一宗務支所発行の安井信雅著・西風会編集の『述誠』と同じく十章段構成で記載する。

述誠その1

『述誠』(じゅつじょう)①
問 実信房(じっしんぼう)②
答 善慧上人(ぜんねしょうにん)③

(第一)④
序分義(じょぶんぎ)⑤の始め、証信序(しょうしんじょ)⑥の法門、終りて後、別に尋ね申す。
今、往生は南無阿弥陀佛と心得て候ひけり。是に付きて、南無を、彼の釈(しゃく)⑦に帰命と釈し候。帰命は、命を帰すと書きて候。されば、正しく願体(がんたい)⑧に帰し候ひぬるものならば、帰命の謂れ立つべく候。此の帰命の謂れ立ちぬる姿を、如何にしてか、知り候はんずるぞ。

唯、南無阿弥陀佛と申して、疑ひ無く往生し候べきぞ、と思ひ定め候べきか。又、止悪修善(しあくしゅぜん)⑨の道理をも控へなんとしたる分斉にて、念佛申し候はんずるか。
帰命の心の、立ちたる色(いろ)とは、如何様に心得べく候やらん。又、往生一定(おうじょういちじょう)と思はば、命を惜まず、一向念佛申さんずるこそ、帰命の心、立ちたるぞ、と思ひ定むべきにて候やらん。

御答に曰く、是に殊勝の事あるなり。左右なく申すべきにあらねども、箇程の御尋ねに付きては、申さでもあるべからず。
念佛往生と申すにつきて、諸師(しょし)⑩の心と、和尚(かしょう)⑪の心と、大いに替るなり。諸師は、唯、六字の名号(みょうごう)⑫の目出度き事をほめて、衆生が唱ふる功徳にて往生を得るぞと釈し、或は又、三字(さんじ)⑬を法・報・応の三身(さんじん)⑭に配て、空・仮・中の三諦(さんたい)⑮にも配て、或は、法身・般若・解脱の三徳(さんとく)⑯にも配てて釈すれども、南無の体を釈することは、すべてなきなり。

然るに、善導一師は、阿弥陀の三字を委しく釈せずして、南無の二字を釈し給ふなり。此の南無を帰命と釈せらるるなり。帰命につきて、故上人(こしょうにん)⑰、観佛・念佛の両三昧(ざんまい)あるべしと料簡(りょうけん)せられて、その観佛の帰命は機(き)⑱に付き、念佛の帰命は佛体(ぶったい)⑲に付くと料簡せらるるなり。
此の帰命といふは、命を佛に奉る意(こころ)なり。されば此を釈するに衆生の重ずる所、命に過ぎたるは無し、此の宝財を佛に奉ると釈せられたり。されば、先づ衆生の方より命を惜まず、佛に帰する事にてあるべきなり。是を帰命の体とす。

是に付きて、我等が心に引乗せて分別するに、誠に命を惜まず、佛に帰するかと覚ゆるに、口には南無阿弥陀佛と云へども、心には命を惜みたる故に、観佛の帰命は立たざるなり。是を以て、命を惜まずして往生す、といはば、我等が往生は思ひ切るべきなり。
然るに、念佛の帰命の、佛体に付くと云は、先づ彼の阿弥陀佛の覚体(かくたい)⑳に、この命を惜みたる我等凡夫を自ら摂して成佛したまへる故に、今始めて命を帰せざれども、彼の佛体に往生は成ぜられけり、と意得べし。これすなはち、「一心廻願往生浄土為体」(いっしんえがんおうじょういたい)㉑と云ふ。
されば、衆生の往生を覚体に成じ玉へるなり。

南無といふは、正しき我等が体なり。即ち三心(さんじん)㉒なり。故に此の南無が阿弥陀佛の体に具せられて、名号となるぞ、と心得る所が往生にてあるなり。
是くの如く心得る時、命を惜めば往生すまじきにては無きなり。此の謂れを心得る所を、即便往生(そくべんじょう)㉓と名付くるなり。されば正しく往生の体は此の三心にて、南無阿弥陀佛に極まるなり。
他力(たりき)㉔といふは機によらぬ事なり。機によらねば一向佛体(いっこうぶったい)に付くるなり。

故に、南無を具して覚体を成じたまへるところが、正しく他力往生にてありけるぞと心得る外には、三心具足の色、他にあるべからず。

されば、能く能く我が身の有様を明めば、 命を惜みたる身ぞ、と思ひ知るべきにてあるなり。今、別願(べつがん)㉕の体が正しく此の機を自ら佛体に具足したまひける故に、我等が往生は他力にて成ずるぞと申すなり。それを、我が命を惜まぬ位になりたるこそ帰命と云へると云ふ義は、僻事(ひがごと)なり。

若し尓れば、惜まずば往生し、惜まば流転すべきに当れり。故に「無有出離之縁」(むうしゅっりのえん)㉖の信を思ひ切りたる機の上に、往生すや、せずや、といはば、打ちまかせては往生すまじき、といふべき所なり。是に今、命を惜みける者を摂取したまひける佛ぞと心得る所を、今の信心とはいふなり。命を惜まば帰命の謂れ立たざるにはあらず。かかる機を捨てたまはず、来迎引接(らいこういんじょう)㉗したまふ所を、「以無縁慈摂諸衆生」(いむえんじせっしょしゅじょう)㉘とは説かれたるなり。
此の謂れを心得ての上には、又、機に立ち帰りて、形の如く、分々(ふんぶん)に帰命の心、必ず立つべきなり。

是れ先師上人(せんししょうにん)㉙の口伝の義なり。聴聞も二十余年が間、上人に付き随ひ奉りたるに、二十余年の後、此の法門を授けられたり、と正しく書き付けられたり。



『述誠』現代語訳
問 実信房
答 善慧上人

(第一)
序分義の始めの証信序のご講義が終わりましたので、改めてお尋ねいたします。
私は往生とは南無阿弥陀佛と理解いたしました。このことについて南無を、善導大師の『観経疏』には、帰命と解釈されています。帰命とは命を帰すと書きますが本当に心から阿弥陀佛に命を帰したならば、これこそ帰命といえるでしょう。
帰命の心のそなわった姿を、どうしたら知ることができるのでしょうか。
ただ南無阿弥陀佛と称えさえすれば、間違いなく往生できるのだと、信ずればよいのでしょうか。それともまた止悪修善の道理を心得た上で念佛を称えたらよいのでしょうか。
一体、帰命の心がそなわった姿とはどのように考えたらよいのでしょうか。また往生は絶対に間違いないと思って、命を惜しまず、ひたすら念佛を称えることこそが、帰命の心がそなわった姿と思えばよいのでしょうか。お教えください。

お答え。この帰命ということについては、
常に深い意味合いがあります。簡単に説明できることではありませんが、このような切実なお尋ねでありますから、お答えしないわけにはまいりません。念佛往生ということについて、諸師の解釈と善導大師の解釈とは、大変異なっております。諸師は、ただ単に六字の名号のすばらしさだけをほめて、衆生が称えるその功徳によって、往生できるのであると解釈し、ある時は阿弥陀の三字を法身・報身・応身の三身にあてたり、空諦・仮諦・中諦の三諦にあてたり、またある時は、法身・般若・解脱の三徳にあてたりして解釈はしていますが、南無について解釈することは全くありません。
 
ところが、善導大師だけは、詳しくは解釈せず、南無の二字の方を重視され、これを帰命と解釈されました。この帰命について、法然上人は、観佛三昧の帰命と、念佛三昧の帰命との二つの帰命があると理解され、観佛三昧の帰命は、機の方に付き、念佛三昧の帰命は佛体の方に付くと、常々お話しされていました。
帰命というのは、命を佛にささげるという意味合いで使われています。そして、衆生が一番大切にするのは命であり、この宝である命を佛にささげることであると解釈されています。だから、まず、衆生の方から命を惜しまずに、佛に命をささげるということになります。これが言葉通りの帰命の受け取り方です。
 
このことについて、私たちの心に照らし合わせてみると、本当に命を惜しまずに、佛に帰すことができるのかと、考えてみると、口には南無阿弥陀佛と称えてはいるが、心の中では命を惜しんでいるので、観佛三昧の帰命は成り立たないのです。だから命を惜しんでは往生できないというならば、往生は、あきらめねばなりません。
 
ところが、念佛三昧の帰命が佛体に付くと言うのは、阿弥陀佛は命を惜しむ私たち凡夫を、自ら摂して成佛された佛であるから、私たちが、今初めて命をささげなくても、阿弥陀佛の覚体に、往生は成しとげられていると心得てください。これが善導大師のおっしゃる「一心廻願往生浄土為体」の意味なのです。
 
ですから私たちの往生はすでに阿弥陀佛が正覚を成就された時に成しとげられていたのです。
ところで南無というのは私たちが発す心であります。すなわち三心です。この南無が、阿弥陀佛の願いに包まれて、南無阿弥陀佛となるのだと心得るところが、往生なのです。
このように心得る時、命を惜しんだからといって往生できないということではありません。この道理を心得るのを即便往生と言います。だから、往生を体得するのは私たちの発す三心であります。ところが、三心もすでに南無阿弥陀佛として極まっているのです。
 他力往生というのは、全面的に佛の側に関わっています。だから、衆生の願いを受けとめて南無阿弥陀佛と成じたところが、他力往生であると理解する以外には、三心のそなわった姿というものが別にあるわけではありません。
 
そこで、よくよく自分自身を突き詰めてみて、命を惜しむ身であると、思い知らないといけません。阿弥陀佛は、命を惜しむ衆生を自ら包み込んで成佛された佛なので、私たちの往生は、佛の力によって完成されたと言うのです。それを、自分の命を惜しまない気持ちになったことこそ帰命と言える、という解釈は間違いです。もしそうならば、命を惜しまないなら往生し、惜しめば、往生できずに流転するということになります。だから、自分を「無有出離之縁」と信じ切った人に対して、往生できるとかできないとかと言ってみても、所詮往生できないと言うことになってしまいます。要するに、命を惜しむ者を、救い取ってくださる佛であると、知るところを本当の信心と言うのです。命を惜しんだからと言って、帰命の意味合いが成り立たないわけではありません。 このような命を惜しむ者を見捨てず、救い取ろうという佛の慈悲を『観経』では「以無縁慈摂諸衆生」と、説かれております。

こう言ったことを理解した後には、それぞれの能力に応じて、帰命の心が必ず発ってくるはずです。
「以上は、私(西山善慧上人)が、故法然上人から直にお聞きした教えです。法然上人の側にお付きして二十余年になりますが、特に最後になってこの教えを授けられました」と確かに書付けられていました。
大意(第一)
南無阿弥陀佛の「南無」についての質問である。
善導大師(=今師と呼ぶ)の書かれた『観経』(=『佛説観無量寿経』=今経と呼ぶ)の解説書である『観経疏』(=本疏と呼ぶ)には、「南無」を「帰命」と訳している。その「帰命」というものを、そこでは文字通り「命を捧げる」という意味に解釈している。
では「命を捧げる」というような、特別な心や修行がないと「帰命」にはならないのではないか、という疑問について、法然上人は「帰命」には、「観佛三昧」の「帰命=南無」と、「念佛三昧」の「帰命=南無」があり、「観佛三昧」の「帰命=南無」は「機」に付き、「念佛三昧」の「帰命=南無」は「阿弥陀佛=佛体」に付くと、常々話されていた。この考えは西山上人を含めて少数の弟子に伝えられた甚深の法門である。したがって同じ法然上人を宗祖とする他流では、「観佛三昧」も「念佛三昧」も共に「帰命=南無」は「機」に付き、「観佛三昧」は観念の念佛とし、更にこれを理観の念佛(=実相念佛)と事観の念佛(=『観経』の定善念佛)として、「念佛三昧」も機につけて、口称の念佛(=散善念佛)として、衆生の称える功徳によって往生するとしている。西山上人だけは法然上人が「観佛三昧」と「念佛三昧」の二つに分けられた深い意味を受け、これを 「行門」「観門」「弘願」の三つに分けられて理解説明した。「観佛三昧」の「帰命」は衆生の方から働きかけていくもので、文字通り、佛に命を捧げることになる。すなわち、特別な強い心の持ち方とか修行が必要となる。それを西山上人は「行門」と呼ばれた。

行門→「行門」とは、『観経』以外の一切のお経(=諸経と呼ぶ)に説かれている法門(定散二善=諸善)と、それに諸師の解釈する『観経』の法門(定散二善=諸善)のことで、自力修行を目的とした教えで、定善は「息慮凝心」、散善は「廃悪修善」のこと、それを「行門」と呼んだ。この立場(=諸師の考え方)で『観経』を読むと、衆生の側から「帰命の南無」をしないと往生できないことになる。これが法然上人の言う「観佛三昧」にあたる。ところが「念佛三昧」の「帰命=南無」は、もともと阿弥陀佛に具わっているもので、「南無」と「阿弥陀佛」とは分けることが出来ないのである。

弘願→西山上人は、この立場を「弘願念佛三昧」と呼ばれた。
弘願という言葉の意味は、衆生(=一切善悪の凡夫)を等しく救済する阿弥陀佛の大悲誓願のことである。
すなわち『大経』(=『佛説無量寿経』)に説かれる、阿弥陀佛が、法蔵菩薩と呼ばれていたころ(=因位)、五刧思惟のすえに立てられた四十八願、ことに第十八番目の願に、「もし、われ佛となるを得んとき、十方の衆生、至心に信楽して、わが国に生まれんと欲して、乃至十念せんに、もし生ぜずんば、正覚を取らじ」とあるのがそれで、これを「王本願」とも弘願とも呼ぶのである。
しかし阿弥陀佛が、「本願酬因」の佛とか「往生正覚一同」の佛といわれるのは、その「因位」の誓願(=弘願)を、実現するために兆載永劫にわたって修行されて(=中間)、その願と行が成就された結果、正覚を成じて佛と成られた(=果上)ことによって、衆生の往生も成就したことになるのであるから、阿弥陀佛の修行は、衆生の往生の行であるとともに、その阿弥陀佛の名号である南無阿弥陀佛には、衆生が往生を願う心(=救いたまえという願生心)までも含まれ、満たされているのである。これを善導大師は、「阿弥陀佛者即是其行」とか「佛体即行」と表現されている。これが「名体不二」という捉え方(=名目)であって、阿弥陀佛の名号である南無阿弥陀佛と、衆生を往生させる本体(=願体であり行体であり佛体・覚体でもある)である阿弥陀佛とは、不離一体なものとするのである。よって、弘願とは南無阿弥陀佛の名号そのものであるから、阿弥陀佛と言っても南無阿弥陀佛の名号を含み、南無阿弥陀佛と言っても阿弥陀佛という、働きも含んでいるのである。したがって阿弥陀佛とあっても、常に南無阿弥陀佛というように想定して受け取らないといけない。また弘願の具体的表現として、『観経』の説相では、釈迦在世の時の韋提希夫人の前には第七華座観で所現した「住立空中」の三尊(=立撮即行)として説かれ、私たち未来の衆生の為には、散善九品の来迎佛として説かれるのがそれである。さきに「南無」は「帰命」と訳して、「観佛三昧」としたが、「南無」を「三心」として、衆生の「願心」と受け取る場合がある。

観門→これが西山上人の「観門」(=観佛三昧)の立場である。「観門」とは、『観経』に説かれている法門は、諸師のようにこれをこのまま受け取って「如説修行」の自力「行門」の経とは理解しないで、『観経』の所説(=内容)は「弘願」を説き顕すために設けられた釈迦の言説であり、「佛力異方便」として聞き、知るべきものである。これを「聞位」と言い、「帰依の一心」、「願(生)心」とも言い、この一心を「至誠心・深心・廻向発願心」と開いたのが「三心」である。それで、この立場を衆生の側からの「観」(=観佛三昧)すなわち「能観の智」として、定善・散善も自力修行を説く定散二善から、定善十三観の説相が「所観の境」すなわち、「所入の身土」である阿弥陀佛の依報(=極楽国土)と正報(=佛体)を説くことによって他力往生と悪人往生を示し、散善三観を説くことによって、善人(=定善の機・諸行諸善を行じる人たち)も悪人(=悪機・弱い心を持った凡夫)も、全てが「能入の万機」(=九品往生と万機往生)として、裏の面では既に阿弥陀佛によって、救い取られているということを説き顕す「佛語の定散」(=釈迦の言葉によって三心をおこす)、「異の定散」(=釈迦の佛力によって弥陀の弘願を説き顕す)、「衆譬の定散」(=観経十六観は弘願を説き顕す多くの譬え)、「行成の定散」(=『観経』の定散は衆生の行ずべきものでなく既に佛の側で成っている)、「識知の定散」(=定散は衆生が弘願を識るために説かれた)と受け取るのである。その衆生のおこすべき「三心」も阿弥陀佛の四十八願に極まっているとするのが「弘願」「念佛三昧」の立場である。これらを要約すると西山上人の説く観門観佛三昧、弘願念佛三昧は表裏一体のもので、表より見れば観佛三昧の定散所説、裏から見れば弘願念佛三昧は南無阿弥陀佛、これを「二尊一教」、佛体を佛語に顕す「佛体佛語の法門」と言えよう。善導大師が『観経玄義分』で言う「今、此の『観経』は即ち観佛三昧を以て宗と為し、亦念佛三昧を以て宗と為す。一心に廻願して浄土に往生するを体と為す」という言葉が、これを言い表している。
注(第一)
①述誠・・・・・解題を参照のこと

②実信房・・・・宇都宮頼綱(承安二年~正元元年・一一七二~一二五九)の僧名。小倉入道ともいう。鎌倉時代前期~中期の武将で下野国宇都宮の豪族。鎌倉幕府初代執権の北条時政の女婿として活躍。元久二年(一二〇五)、時政の将軍廃位計画に加わったとの嫌疑を受けて出家。承元二年(一二〇八)摂津勝尾寺にて法然上人の弟子となり、実信房蓮生と号す。のち法然上人の指示により、西山上人の弟子となる。専ら京都嵯峨小倉山に住まい、ときに西山上人の善峰の草庵に随侍し教化を受けた。西山上人没後、建長六年(一二五四)西山往生院に華台廟を建立し、また不断念佛を始行する。これとは別に、歌人としても藤原定家とも親しく交際し、和歌が『新勅撰集』などに採録された。

③善慧上人・・・・・鎌倉時代前期の浄土宗の僧。浄土宗西山派の開祖。(治承元年~宝治元年・一一七七~一二四七)源親季の子で、後の内大臣源通親(久我通親・土御門通親ともいう)の猶子となる。《以上諸説が有る》十四歳で浄土宗を開創されて間がない法然上人の内弟子となり、初め解脱房改め善慧房と号し、諱を證空と授けられた。法然上人に従うこと二十三年に及び、念佛深意に達し、円頓戒を伝えた。また法然上人の指示で天台・真言宗の教学も学び精通。『選択本願念佛集』の撰述の際に勘文の役を勤めるなど上人の高弟として常に教団の中心にあった。その教えは、初めは洛東綾小路東端祇園社南の小坂に住していたので小坂義と呼ばれ、のちに西山の往生院に移り教線を広げたので、西山流とも西山義とも称せられた。また教義の内容から弘願義とも安心派とも呼ばれた。寛喜三年(一二三一)法然上人からの譲り弟子である実信房や門弟らと共に関東や奥州に遊化して、法然上人の教えを伝えるとともに、当麻曼陀羅を広宣する。宝治元年(一二四七)十一月二十六日、洛南遣迎院(異説では西山往生院)にて没す。

④(第一)・・・・・仮に文段を分ける

⑤序分義・・・・善導大師(六一三~六八一)の著書である『観経序分義』のこと。善導大師については「諸師」および「和尚」の項を参照のこと。西山では浄土三部経のうち特に『佛説観無量寿経』を『観経』または「今経」と呼び、所依の経典とし、『観経』以外の一切の経を「諸経」と呼ぶ。この場合『佛説無量寿経』は『観経』の序分に、『佛説阿弥陀経』は『観経』の流通分に収まり『観経』所属の経という。善導大師は『観経』の注釈疏を経典の内容にあわせて四巻にまとめられた。これを「観経四帖疏」もしくは「本疏」という。具体的には『観経玄義分』『観経序分義』『観経正宗分定善義』『観経正宗分散善義』といい、ここではこのうちの『観経序分義』を指す。善導大師にはこのほかに『往生礼讚』(一巻)『観念法門』(一巻)『般舟讃』(一巻)『法事讃』(二巻)の「具疏」といわれる著作があり、あわせて「五部九巻」と呼ばれている。またこの「五部九巻」のうち「本疏」と呼ばれる「観経四帖疏」は「安心」を解説するものであり、「具疏」は「起行」を解説しているといわれる。

⑥証信序・・・・・「如是我聞」の一句を指す。善導大師は「如是我聞」(信・聞)の一句証信をとり、諸師は「如是我聞」から「而為上首」(信・聞・時・主・処・衆)までの六句証信をとる。善導大師が阿難一人を証信としたのは阿難の復説師としての役割と『観経』が釈迦滅後の人のために説かれた経であるということをを見抜いたからである。

⑦釈・・・・・・善導大師の『観経玄義分』の「別時意門」にあり。

⑧願体・・・・・因位の四十八願を成就した佛である阿弥陀佛のこと。「行体」の項を参照のこと。

⑨止悪修善・・・佛教の一般通念。悪を止め、作らず、善を修し、施すこと。散善のこと。

⑩諸師・・・・・他宗の師にして、しかも浄土三部経の注釈疏をつくり念佛に帰依した師。特に、「浄影寺慧遠」「天台大師智顗」
「嘉祥大師吉蔵」は『佛説観無量寿経』の注釈疏を著している。祖師=インドの三祖「龍樹」「世親」「菩提流支」と中国の五祖「曇鸞」「道綽」「善導」「懷感」「少康」を指す。特に中国の五祖を指すことが多い。今師=善導大師のこと。中国の五祖がまったく同じとみる「五祖一轍」の場合は善導は「祖師」となり、善導一師を特別とし「五祖各別」と見る場合「今師」と呼ぶ。

⑪和尚(かしょう)・・・・・今師=善導大師のこと。善導大師は中国隋代の大業九年(六一三)に生まれ、唐代初めの永隆二年(六八一)に六十九歳で入寂した。二十六歳から三十三歳(推定)ごろ山西の玄中寺に道綽禅師(五六二~六四五)を訪ね、曇鸞から受け継がれた念佛の教えを孜々として学んだと伝えられている。道綽の示寂後に長安に出て、近くの終南山の悟真寺に住し、また市中の光明寺において説法布教活動をしたと伝えられている。善導大師は、中国浄土教史上はじめて『観経』に対する詳細かつ大部の注釈書を著作して、すべての人々が念佛することによって阿弥陀佛の本願力で極楽浄土に往生できると、宣揚したのである。

⑫六字の名号・・・・南無阿弥陀佛のこと。

⑬三字・・・・・阿弥陀のこと。

⑭三身・・・・・法身・報身・応身の三身。「法身」とは、佛を真如法性そのものと見る考え方。「報身」とは、菩薩が願と修行とに報いて佛と成ったとする見方。「応身」とは、実際にこの世に姿を現した佛。阿弥陀佛は報身にあたる。阿弥陀佛には通三身門の報身の弥陀と、別願酬因の報身の弥陀との区別がある。通三身門の弥陀は聖道門に説く弥陀で、諸佛道同の弥陀といわれ報身に限定される。別願酬因の弥陀は法・報・応の三身を兼ねており、通三身門の報身としての弥陀を超越した三身
一報身の佛といわれる。

⑮三諦・・・・・空諦・仮諦・中諦の三諦。天台宗の教え。

⑯三徳・・・・・法身・般若・解脱。法相宗の教え。

⑰故上人・・・・法然上人のこと。

⑱機・・・・・・ここでは衆生のこと。

⑲佛体・・・・・阿弥陀佛のこと。

⑳覚体・・・・・佛を正覚(悟り)を成就したという面(果上)でみること。「行体」の項を参照。

㉑一心廻願往生浄土為体・・・一心に廻願して浄土に往生するを体となす。「玄義分」の「宗旨門」にあり。

㉒三心・・・・・至誠心・深心・廻向発願心のこと。

㉓即便往生・・・普通この世の命が終わってこの穢土を離れてかの極楽浄土に生まれることを往生というが、「即便往生」とは、この世で三心領解して既に往生が定まることをいう。「証得往生」ともいう。死後の往生は「当得往生」という。

㉔他力・・・・・佛の本願力のこと。

㉕別願・・・・・総願に対する語。ここでは阿弥陀佛の四十八願を指す。特に第十八願を「王本願」といい、余の四十七願を「欣慕の願」という。

㉖無有出離之縁・出離の縁有ることなし。「散善義」の「深心釈」

㉗来迎引接・・・阿弥陀佛が自ら来て極楽へ迎え入れること。(佛の救い)

㉘以無縁慈・・・「無縁の慈しみをもって、もろもろの衆生を攝したまふ」『観経』の「真身観文」にあり。

㉙先師上人・・・法然上人(西山上人とする説もある)

述誠その2

(第二)

重ねて問ふ。さては、命を惜む位なるものを、「往生浄土為体」(おうじょうじょうどいたい)と成じて、佛の成佛が衆生の往生にて候はば何となくとも佛体に南無の具足せし所が往生にてありければ、往生すべきにて候か。

御答。さなり。上人の仰せに曰く、所詮往生の信心といふは唯是にてあるなり。是を顕はさんが為に、くれぐれと法門を申すなり。此を分別(ふんべつ)せずしては、往生は叶ひ難くこそ、能(よ)く能(よ)く思ひ分くべき事にてあるなり。
(第二)

重ねてお尋ねいたします。阿弥陀佛は命を惜しむ人こそを、極楽往生させようと願って成佛した佛であり、佛の成佛が衆生の往生であるならば、衆生はなにもしなくても、阿弥陀佛に南無が具わって南無阿弥陀佛と成ったところが私たちの往生といえますので、それを領解することが、私たちの往生と、いうのでしょうか。

お答え。その通りです。私が法然上人よりお聞きしたところでは、所詮、往生を実感する為の信心というのは、あなたが今、お尋ねになった通りであります。それをはっきりとさせる為に、何度も繰り返し教えを説くのであります。

このことを理解しなくては、往生の実感は得難いのです。このことを十分考えなくてはいけません。
大意(第二)
阿弥陀佛が正覚を取った時(=悟りを開いた時)に、衆生の往生の正因は、阿弥陀佛の正覚であり、我々衆生の往生はすでに決定していることを知ることを証得往生と言う。では何のために釈迦は法門を説くのかと言うと、往生を証得させる、すなわち安心を得させるために説くのである。

成佛→釈迦の「八万四千の法門」と言われる数々の経典は、その内容を極論すれば、悪いことを止め善いことをして(=廃悪修善)、その結果、この世で悟りを開き「涅槃=成佛」の境地に達しようとするものである。そして各々の経典は、釈迦が説法の対象とした人々(=対告衆)の能力(=機根)に応じて修行の方法や期間などが異なって(=三乗とか一乗とか分類される)くるのである。

定善→また悟りを開き成佛を得るために行う善根は、《第一の大意》で述べたように定善と散善に尽きるのであるが、定善とは、いわば宗教的善行であり、「息慮凝心の行」のことである。それは心を統一して慮り、凝らすという「禅定」とか「観法」とか「定業」とか呼ばれるもので、これには「理観」と「事観」がある。

散善→「理観」とは「空・無我」といった現象の背後に有る理法を観ずるもの、「事観」とは、太陽や水とか、絵や佛像などの具体的な形や相といった事相を観察することにより執着を離れ、精神統一を図るのである。「事観」に比べ「理観」の方が高度で難しいとされる。「散善」とは、世俗的な善、道徳的な善根を意味しており、この善根を積み重ねることによって何度も人間に生まれ変わり、やがては成佛することを願い行ずるのである。これらをまとめて「自力修行の定散」というのである。

今経・諸師・諸経→では、わが宗の所依(=最も大切な)の経典である浄土三部経とよばれる三本の経典、すなわち「序分」(=序章・導入部)にあたる『佛説無量寿経』(=略して『大経』)と「正宗分」(=中心部)になる『佛説観無量寿経』(略して『観経』=今経という)、そして「流通分」(=完結部分)になる『佛説阿弥陀経』(=略して『小経』)は(『大経』と『小経』は『観経』所属の経という)、その経説を文面通りに受け取り解釈する疏釈を作り、念佛に帰する立場(=依文釈義・略して依文)から理解しようとする人々(=諸師と呼ぶ)からみれば、『観経』は「自力修行の定散」を説くとは言うものの、「諸経」(=『観経』以外の一切の経)と比較すると定善は「事観」を説くのみであり、散善は対象となる人の機根も修行の程度も低い下品の人(=悪機)までも「臨終の正念」(=十声の称名念佛)により、表面上では往生できると説く(=別時意説)経典であるとの、理解であった。これら諸師には、地論宗の浄影寺の慧遠(五二三~五九二)の外、天台宗の天台大師智顗(五三八~五九七)、三論宗の嘉祥大師吉蔵(五四九~六二三)の名が挙げられる。

祖師・本疏・具疏・今師→このような「成佛」主体の考え方の諸師に対し、「往生」こそ、時機(=時代と人間の能力)に合った教えであると考えたのが浄土の祖師と呼ばれる人々である。インドでは、『十住毘婆沙論』で「成佛」は衆生にとって「難行道」であり「往生」は「易行道」であると説いた龍樹(二~三世紀)、極楽浄土の荘厳の観察と願生往生の実践法を述べた、五念門を説いた、『浄土論』の世親(五世紀)、その『浄土論』を漢訳して曇鸞に授けた菩提流支(六世紀)がいた。中国では、『浄土論註』を著し、佛教を「自力・他力」に分け他力往生を勧めた曇鸞(四七六~五四二)、『安楽集』で佛教を「聖道門・浄土門」に分けたうえで、聖道成佛より浄土往生の方が時機に適った教えであるとした道綽(五六二~六四五)、『観経疏四巻』(=本疏と呼ぶ)と『法事讃二巻』『観念法門』『往生礼讃』『般舟讃』(=具疏)全部合わせて「五部九巻」と呼ぶ書物を著して、『観経』に説く念佛往生が諸師の言う対象となる機根も修行の程度も低い教えではなく、時機と佛の本願に適った「正行=正定業」であることを証した、善導(六一三~六八一)(=善導のみを「今師」と呼ぶ)、このほか『釈浄土群疑論七巻』を著した善導大師の弟子懷感(七世紀)、後善導と呼ばれ『往生浄土瑞応刪伝』を書いた少康(?~八〇五)らの名前が挙げられる。

往生・当得・証得→諸師、インドの三祖、中国の五祖ともこの世で成佛を得るためには、「逢佛・見佛」が必要であるとの認識では一致している。が、「末法」と呼ばれる時代では、釈迦の教えのみが残り、佛が不在であるから、正しい「行」も「証」もないのである。そこで「此に死して彼に生まれる」こと、「往生」することにより、「彼土=浄土」での「成佛」を目指す、「当得往生=臨終往生」が一般的に考えられた。しかし、西山上人は『述誠』では死後の往生のことを言わない。それは当得往生は未来・死後のことで此の世・今身には利益がないことと、極楽浄土と阿弥陀佛は「言妄慮絶」すなわち言語を絶する境涯であるから、衆生には体得できないことであるからである。これに対して此土で今身にて往生を証得することは、衆生の往生は即、佛の正覚(=往生正覚一同)であるから、衆生の往生の生因(=正因)は佛の正覚に在り、衆生がそれを知ること、釈迦が『観経』の佛語異方便智恵門=観門=観佛三昧により弘願=慈悲正因の謂れが衆生に帰依の一心=安心=領解の心として出て来た状態を「安心」を得るとして、これを「証得往生・即便往生・即得往生」と言うのである。それは「当得往生は観門を思わえて説き、即便(=証得)往生は弘願を思わえて説く」と考えるからである。そのとき称える念佛が、この世・今身に利益が生じた弘願念佛であり、衆生往生を勧める佛の側の念佛が(=念佛三昧)顕現したのであるから、これは衆生が三業で称える念佛ではない「離三業の念佛」と言うのである。それを西山上人は、強調されたのである。

述誠その3

(第三)

同日の戌時(いぬのこく)①に御使を以て仰)せらるること。

昨宵(さくしょう)の程は昼の法門をも沙汰せられぬ事、返す返す不審に覚え候。其の要を取りて、今朝(こんちょう)申しつる帰命の二重(観佛・念佛)②の事、よくよく心得あるべきなり。
南無③を本として、是に阿弥陀佛を具足する所は、願行具足(がんぎょうぐそく)の南無阿弥陀佛にてあるなり。是を観佛三昧(かんぶつざんまい)と名づくるなり。阿弥陀佛を体として、是に南無を具足する所は、行願具足(ぎょうがんぐそく)の、阿弥陀佛の南無④にて、佛体が本となりて衆生を摂取するなり。是を念佛三昧(ねんぶつざんまい)の帰命の、佛体に付くとは申すなり。

然れば往生を判ずるには、行願具足して往生すべきにて、「一心廻願往生浄土為体(いっしんえがんおうじょうじょうどいたい)」と釈して、衆生の往生を以て彼の佛の成佛の体と心得る時、往生は決定(けつじょう)するなり。

これを「一切善悪凡夫得生者(いっさいいぜんなくぼんぷとくしょうしゃ)」⑤等と釈するなり。此れを依文(えもん)⑥の法門より念佛に入らんとするは、観佛三昧より念佛に入る故に、端より奥にいたるは大事なり。此の玄義(げんぎ)⑦、念佛三昧の道理を心得ての上に、依文に付きてのあきらめ沙汰するは、是れ奥より端に至る故に易きなり。

されば唱ふる功によりて往生するぞと申すにはあらず。佛体が往生の体にてありけりといふなり。是を能く能く心得べきなり、と仰せられきとなり。

御返事に申す。
此の仰せ、実に甚深(じんじん)にえ候。今、往生一定し候ぬと覚え候なり、と云云。
(第三)

同日の戌の刻に、お使いをもっておっしゃられました事。

昨日の夕方は、昼の講義についてのお尋ねの手紙がなかったことは、非常に不思議に思われます。今朝お話しした観佛・念佛の二重の帰命の要点をよくよく心得る必要があります。
南無を主として、阿弥陀佛を従とするところは、願行具足の南無阿弥陀佛で、これを観佛三昧と言います。阿弥陀佛を主として南無を従とするところは、行願具足の南無阿弥陀佛であって、これは阿弥陀佛の南無で、佛体が本となって衆生を救い取るのです。これを念佛三昧の帰命が佛体に付くと言うのです。

だから往生を判定するには、行願具足して往生すべきであって、善導大師はこのことを「一心廻願往生浄土為体」と解釈しておられます。だから、衆生の往生こそが阿弥陀佛の覚りの根本だと心得た時、往生は定まるのです。

これをまた善導大師は「一切善悪凡夫得生者」等と釈しておられます。段階的に念佛を理解しようとするのは、観佛三昧より念佛に入ることになるので時間がかかることになり容易ではありません。先程述べたような玄義念佛三昧の道理を理解した上で、個々の理解を深めていくのは理解が速くて容易なことです。

だから、私たちが称えることによって往生するのだと言うのではありません。阿弥陀佛の在自体が私たちの往生そのものなのです。これをよく心得てください。

実信房のお返事
そのお教え、誠に意味深く頂きました。これで私の往生は定まったという思いがいたします。
大意(第三)
この(第三)では引き続き観佛三昧と念佛三昧について、「願行具足」という用語と、西山義独特の「行願具足」という別の名目を立てて説明するのである。

願行具足→一般的に「願行具足」という名目は、「願」は衆生の側で発すもの、「行」は佛の側で起こす行のことを意味して、衆生の発す「願」=発願心=衆生の南無=帰命と、その衆生を救い取らねばならないとして、衆生の替わりに修行し成就して佛となった阿弥陀佛=佛体が一体であることを表わす言葉である。これを衆生の発す南無と、救い取らねば正覚を取らないと誓われた佛とが一体となった「機法一体」の南無阿弥陀佛とも表現する。このような考え方は、他流の「願行具足」「機法一体」の立場であって、「行門」の「観佛三昧」=「願行具足」の理解である。善導大師の『観経玄義分』にある「南無と云ふはすなはちこれ帰命なり。阿弥陀佛と云ふはすなはちこれその行なり」をそのまま「行」として受け取る立場(=依文釈義)である。
これに対して、西山義の「願行具足」とは、衆生の発す「願」=発願心=衆生の南無=帰命をもととして、阿弥陀佛に帰命するところを「願行具足の南無阿弥陀佛」として、法然上人が「観佛三昧の帰命(=南無)は機に付く」と示された法門、すなわち「行門」の観佛三昧とは異なった「観門」の観佛三昧であるとする。本文(第五)を参照のこと。
「願」とは衆生の発す「願」=発願心=衆生の南無=帰命ではあるが、必ずしも衆生が初めて往生しようと発願するわけではなく、衆生の発すべき「至心信楽、欲生我国」の「願心」も本願に建て、衆生の行ずべき「行」も本願に建てて、それを成し遂げて正覚を取り阿弥陀佛となられたということ(=名体相即の佛という)を今、初めて聞いて、衆生の往生も既に十刧の昔に成就していたことを知るならば、これまで知らずに流転していたのだと領解し、「願」も「行」も皆、阿弥陀佛の側に備わっているのだと、理解されるのである。これを「聞位」とも衆生の「南無」=「三心」とも、「証得往生」ともよぶのである。

行願具足→また、法然上人が「念佛三昧の帰命(=南無)は佛に付く」と示された甚深の法門を、西山上人は「行願具足」と言い替えられた。
ここでは「南無」とは阿弥陀佛の衆生に対する慈悲心=弘願そのもののことで、阿弥陀佛という佛に、もともと備わっている「南無」=阿弥陀佛の「南無阿弥陀佛」であって、佛の正覚の相、すなわち佛の働きかけという観点から捉えた見方である。であるから、先の善導大師の『観経玄義分』にある「南無とは云ふはすなはちこれ帰命なり。阿弥陀佛と云ふはすなはちこれその行なり」を、深く捉え直した見方(=文前の玄義)である。善導大師はこれを別の表現では、阿弥陀佛が「一心に廻願して、浄土に往生するを体となす」とも言われた。
注(第三)
①戌時・・・・・現代の午後八時を中心とした午後七時から午後九時ごろ。

②《観佛・念佛》・観佛三昧および念佛三昧のこと。

③南無・・・・・衆生の南無(願心)のこと。

④南無・・・・・佛の南無(慈悲心)のこと。

⑤一切善悪凡夫得生者・・・「一切の善悪の凡夫の生ずるを得ることは」善導大師の『観経玄義分』
の「序題門」にあり。

⑥依文・・・・・『観経疏』のうち「序分義」「定善義」「散善義」のこと。
        「依文」の文とは、『観経』の本文のこと。「依文釈義」ともいう。
⑦玄義・・・・・『観経』の「玄義分」のこと。「文前玄義」といい、『観経』の本文に立ち入る前にその大意を述べたもの。

述誠その4

(第四)

『群疑論(ぐんぎろん)』①(七巻五丁左有二種云云)に無記(むき)②の往生を立つるに、これを失念する機の体といふなり。さて無記になる始め、善心発りて無記になるは往生なり。悪心に住して無記になるは往生すべからずと定むるなり。
然れば彼の『論』は猶善心ある方は往生すといふ故に、善根成就の機を取るなり。是猶観佛三昧の位(くらい)なり。

今、失念の機、善根成就せざる凡夫を体とすといふは、機の、左(さ)あればかくあればと騒ぐ心を按(おさ)へて、斯(かか)る疑ひの機、信心一つも無き機を本として摂取して正覚③を成じたまへる佛体にて在(おわ)しけるよと思ひ付く所を、今の他力の信心とは云ふなり。
云何にも此の疑ひ騒ぐ意(こころ)を静めての上に、本願④の体を心に懸けて念佛して往生すといふ分は、尚機を本とする故に、真実他力の信心にては無きなり。
念佛といふは他力なり。他力といふは我が心を本とせず。偖(さ)て我が心は是れ何時も疑ひあきらめずして、最後臨の時にも本願をひとすじにたのむ心は無くして、如何あらんずらん、地獄にや堕ちんずらん、とのみ騒ぎ疑はるるなり。是を凡夫の体とはいふなり。

「無有出離之縁(むうしゅっりのえん)」の機とは是なり。此の機の体を動かさずして摂取したまふ所が、真実の他力本願の不思議にては有りと思ひわくばかりなり、と正しく仰せられき。
(第四)

懐感の『群疑論』の無記の往生を立てている章では失念している人を無記往生の人に当てはめています。そして、意識を失う前に善心が発っていた場合は往生でき、悪心が発っていた場合は往生できないと書かれています。
『群疑論』では、本来、善心があれば往生できるという立場ですから、善根を積んでいる人を往生の正機と取っています。
だから『群疑論』の立場はまだ観佛三昧の位と言えます。今ここで善根を積んでいない人を往生の正機と解釈するのは、当然私たちは、あれこれと騒ぐ心を持っている者であり、このような疑い信心一つもない者こそを救い取って、正覚を成し遂げた佛であったと気づくところを、本当の他力の信心というのです。

なんとしても、この疑い深い騒ぐ心を静めた上で、阿弥陀佛に心を寄せて、口にそのみ名を称えて往生するのだという考え方は、まだ自分の力を基としているので、本当の他力の信心ではありません。
念佛というのは他力であります。他力というのは、自分自身の心を基としないことです。ところで、私たちの心というものは、いつも疑いが晴れず、死の直前になっても本願を頼む心が発らず、「どうしたらいいのだろうか。地獄に堕ちるのではないのだろうか」と、騒ぎ疑うばかりです。これが凡夫の正体です。

善導大師が「無有出離之縁」の機と言われたのはこのことです。阿弥陀佛がこの凡夫の本性をそのままにしてお救いくださるところが、本当の他力本願の不思議だと受けとめるだけのことです。と確かにおっしゃいました。
大意(第四)
自筆鈔→これまでは、おおむね西山上人の著書でいうと『観経疏自筆鈔』に従って、(観佛三昧・念佛三昧)、(行門・観門・弘願)という名目を用い、他力浄土門の教えを概略的に捉えてきたが、ここでは『群疑論』の「無記往生」説に従って、真実他力の信心とはどのようなものか、心の働きの面から説明している。

凡夫入報・自力→祖師のうち中国五祖に数えられる善導大師の弟子、懷感が著した『釈浄土群疑論』(略して群疑論)では、諸悪を為す衆生=凡夫が念佛によってなぜ聖人らと共に清浄なる極楽浄土に往生できるのか、と言う浄土教に対する疑惑について釈明を施している。その中で、「無記往生」と言って、平素阿弥陀佛に帰命して念佛していた人が、命終のときになって、心が錯乱して無記(善悪の区別がつかなくなって)、誤った行為をしたとしても、以前に修した念佛の功徳によって、間違いなく往生できることを証した文章がある。他流(=鎮西義)では、四種往生を建て、この「無記往生」の他に「正念往生」「狂乱往生」「意念往生」を説く。「正念往生」とは阿弥陀経にある「不顛倒即得往生」のことで、普段の称名念佛の功徳によって臨終のときに心が失念せず正念して往生することをいい、「狂乱往生」とは、『観経』の下下品に説く、極悪人=凡夫が命終のとき苦に責められ狂乱しても、たまたま善知識に遇って、十声乃至一念の念佛を称して往生できることを言う。「意念往生」とは、『法鼓経』に説く念佛を声に出さないでただ意に佛を念じることによって往生することをいう。だがこれら四種の往生は、心の働きにしても、僅かな行為であっても、共に善いことを自ら行うという「自力」の在り方を顕すのである。これを西山上人は、著書の『観経疏他筆鈔』(=略して他筆鈔)では「顕行」の位とされた。

他筆鈔→又同じく『他筆鈔』では、『観経』の説相に表される韋提希の心の働き、変化にもとづいて「自力・他力」の信心の相違を説明されている。『観経』の序分の欣浄縁で、韋提希は十方浄土の中から西方極楽浄土を別選して、その往生の行として「思惟正受」の定善行を行じようと釈迦に教えを請したのであるが、顕行縁で釈迦は、韋提希の期待に反して「三福」という散善行を自開されたのである。そこには、弥陀の浄土は定散の善悪二機までもことごとく平等に救われるという弘願念佛の一行を知らしめようと(=念佛往生と万機往生)する意趣が秘されていたのであった。しかし、韋提希にはこの段階では弘願他力を領解できず、『観経』の所説を自力修行の法門が自分に説かれるものと見ている。

顕行・示観→この自力の根性を指して「顕行」の位であると西山上人は指摘されたのである。ところが、次の示観縁において釈迦は韋提希に対して、意志も能力も劣る韋提希に代表される凡夫には、自力定善の行は不可能であり、しかも、先に自分で見て選んだと思っていた極楽浄土も、如来の「異方便」によって可能になったのだと告げられ、『観経』の所説、他力・弘願を詮わす観門であることを明らかにされ(=示観開示)、それによって韋提希も凡夫であることに気が付き、他力弘願に回心し、未来衆生のために他力観門を開示するよう請した(=示観領解)のである。この韋提希の自力修行の心地から他力信心への回心を、西山上人は「示観」の位であると呼ばれたのである。
注(第四)
①群疑論(釋浄土群疑論)・・・懷感(七世紀)の著。七巻。善導大師に師事し浄土の奥義を学んだと伝えられる。

②無記往生・・・・常々佛に帰命していた人が臨終の時、宿業によって心が無意識の状態になっても、前に修した念佛の功徳によって往生することをいう。

③失念する機・・・凡夫のこと。